月刊プレイボーイ日本版
インタビュー
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■ vol.4 ■
(PB)
今は志を持つと食えないというのがまずきてしまう。これは文化的にすごくマズイ状況じゃないですかね。
(監督)
生意気言うようですが、だからこそ、あたしみたいなフリーの立場で生きている人間が頑張らなきゃいけないと思うんですよ。あたしは早稲田中学だったんですけど、親はそこから早稲田高校、早稲田大学理工学部に行かせようと路線を引いていたんです。でも、反発して中学時代に映画研究部三昧をしまして、それで、映画人になろうと日大芸う術学部に行ったんです。卒業はしたものの、5社が崩壊し始めていましたから、フリーでやるしかない。しかも、撮るのは公序良俗の矢がビシバシ刺さるポルノ映画ですから。その時は世間からはじき出されてるようなヤツだったったんですね。何しろ当時はサラリーマンを否定するヤツは日本の国民にあらずと言うような時代でしたから。それが今や終身雇用も年功序列も全部なくなって、お父さんはウロウロするばかり。そういう大人にはなりたくないって、ほとんどの子供は思っているわけです。だからフリーターをやる子がすごくたくさんいる。それはそれでいいと思うんですけど、もっと早くに、少年少女の感性が鋭敏なときに、好きなものを見つけて邁進していって、それに陶酔できる世界を見つけてほしいと思うんですよ。
(PB)
監督ご自身、日活ロマンポルノの世界にそれを見つけたわけですよね?
(監督)
みんなものすごい情熱でしたよ。日活にいたんじゃ、生涯エキストラで終わってしまうって言う子が、生涯で一度でいいから主役をやってみたいと。そのために脱ぐ事もいとわないっていうような情熱で来るわけです。そういう人たちの集まりですから。あたしは、24歳で監督になったんですけど「泥の河」の小栗康平とか井筒和幸、この間「陰陽師」を撮った滝田洋一郎もあたしの助監督をやっていたんですよ。錚々たるメンバーでしたね。だから、今の若者たちにも、そういう陶酔の世界を見つけてもらいたいと思うのです。その道しるべに、あたしのようなヤツがいた方がいいと。
(PB)
若者が生きにくい国と言うのは希望がありませんよね。
(監督)
でも、救いはあるんです。バーナード・ショーは「流行は瞬間の芸術である」といいましたけど、渋谷あたりのギャル文化の中でそういうものがありますよね。そういう意味では日本の歴史始まって以来、これほど若者が活躍している時代はないですよ。ジャリ文化を嘆く事と矛盾するかもしれませんけど、束の間の青春の騒ぎ、流行、情熱、そんなものが花開いている事は確かです。
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